琴林碑(藤沢南岳撰文)

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香川県さぬき市津田町津田

疎松が水を隔てて笙の音を奏でるとは唐の杜甫も賞詠したところ、ましてや幾千株という松が風を受ければその琴のひびきの美しいことおして知るべきである。これ琴林の名があるゆえんである。琴林は東讃津田村にある。村の南に八幡神社があって、松林はこれを囲み、その長さはほとんど二〇丁、幅はその三分の一であろうか、東は斜めに海湾をいただき、碧湖と白砂と相映じて、幹高く、さながら躍るようであり、その根上り松は人がくぐれる程である。海風がこれに当たれば、天然の音楽を奏で、人間界の音楽の遠く及ばないところである。皆川棋園翁もかつてこれを書いたところである。最近八木弁助というもの、村人と相談して一碑を作ろうと思い、自分のもとへその碑文を求めに来た。弁助はもう七〇歳になるが、大阪に出ていながら、絶えず心を郷里のことに用いている奇特な心掛けの人である。考えてみれば、自分は今から四〇年余り前、先君にお供して初めて津田の松原に立ち寄り、国方直郷という人の家に泊まったことがある。あたかもその夜は大雪、朝になってようやく晴れたので、雪を踏んで松原に行ったところ、一面の銀世界の中に緑のひげをたらした大勢の仙人が、玉をかかげて躍っているようで、まことに俗界では見られない眺めであった。海風が当たれば、琴の音を奏でる風情が優れているばかりでなく、雪の松原もまた絶佳というべきであった。それから後は、この村に行くたびに、必ず友人と林間をさまよい、月の夕であろうと、雨のあしたであろうと、行かない時はなかった。友人ら皆これほどの美景でありながら、その位置が南に偏して、都人士の知らないことを惜しんだ。淇園翁もまた同じ思いであったことであろう。自分は友人に向かって、実有れば必ず顕れるもの、何でその名が伝わらないことを残念がる必要があろうか、むしろ美景がありながらも、これを大切に育てていくことを知らず、これを世間に推称することを知らないのが世間の通幣であり、悲しむべきことではなかろうかというと、友人も皆成程とうなずいた。海岸や松原の美しさは舞子が最も有名であり、摂津や淡路もよく人に知られたところであるが、余が遊んでみたところ、津田の松原に優れた所はなかったようである。いや、あるいはこの松原以上の所も奥州や九州の果てにはあるかも知れない。ただ、人のうわさにも上がらず、文士の筆を得ることもできないため、その名が知られていないだけのことではなかろうか。幸い弁助は自分のもとへ来て、郷里の琴林の名を世に推称しようとした。その精神たるや松原とともに立派であるというべきである。しかしながら、せっかくの望みも、自分の文才では十分に松原の美しさを書き表すことができないのをはずかしく思う。今、かつて遊んだ時のことを思い起こし、それも併せて書き残し、世人に伝えようとするものである。
(後略・看板引用)

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