西行法師と白峯伝承

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香川県

白峯寺

思いやれ都はるかに沖つ波立ちへだてたる心細さを

御陵石段前に建つこのお歌は、風雅和歌集に見える崇徳院の御辞世のお歌といわれる。このお歌には添え書きがあり「松山におはしまして後都なる人の許に遺わせ給ひける」とある。讃岐の配所にあって日々望郷の思い止みがたく都なる人の許に送られた悲しみのお歌である。保元元年(1156)京を舞台にくりひろげられた保元の乱は王朝内部の主導権争いに端を発した骨肉背反の壮絶な戦いであった。この戦いは平安期の王朝政治体制が崩れ、やがて武の世界へと移り替わるきっかけとなった。日本の歴史の大きな転換を促す戦いでもあった。遙か南海の果て讃岐に配流される。そして配所に月を眺めること八年有余、再び都に許されることなく悲墳のご生涯をここ讃岐に閉じられた。

西行法師と白峯伝承

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