丸亀城の歴史
トップページ>高知県の観光>四国の河川>香川県の河川>土器川>丸亀城の歴史
香川県丸亀市
丸亀城は、生駒氏が慶長2年(1597)から5年をかけて西讃岐の支配のため築城したが、一国一城令により廃城となった。その後、生駒氏の転封により讃岐は東西に二分され、西讃の拠点として山崎氏がその城跡に、寛永20年(1643)により築城を開始した。現在のほとんどの石垣は、山崎氏によって造られたと考えられる。山崎氏絶家後は京極氏が入封し、明治維新を迎える。標高66mの自然の岩山である亀山を利用し、それを取り囲むように四方に3段の石垣を巡らせ、山下部から三の丸、二の丸、本丸へと登って行く縄張りとしている。山上部にはかつては現存する天守を含め12の櫓とそれらを繋ぐ渡櫓があり、山下部には藩主の住む居館や大手門、庭園などがあった。また、外堀の内側には武家屋敷を置き、大手口や搦手口には家老屋敷を配置して守りを固めていた。
サイトリンク:高知県の観光・高知の河川・愛媛の河川・徳島の河川・植物図鑑
仁淀川・四万十川・国鉄四国総局・沈下橋・神社仏閣