掃海母艦「はやせ」主錨の由来

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掃海母艦「はやせ」は昭和四十六年十一月六日東京・石川島播磨重工で竣工。第一掃海隊群に所属し呉を母港として掃海部隊の旗艦となる。爾来海上自衛隊演習、機雷戦訓練、掃海特別訓練への参加は元より爆発性危険物の処分、北海道南西沖地震や阪神淡路大震災の災害派遣など多様な任務に即応し輝かしい成果を挙げて来た。特に湾岸戦争後、平成三年四月国内外の要望に応えて自衛隊創設以来初めての国際貢献となるペルシャ湾掃海派遣部隊の旗艦となり掃海艇「ひこしま」「ゆりしま」「あわしま」「さくしま」、補給艦「ときわ」と共に熱暑に耐え砂塵にまみれながら九十九日間におよぶ掃海作業に従事し被災国の復興に寄与した。その業績は海上自衛隊の名声を世界に知らしめ、以後我が国の国際平和維持活動の魁となった。ここに平成十四年十二月十一日除籍された掃海母艦「はやせ」の三十一年有余に到る勇姿を偲び、その功績を称えるとともに業績を末永く後世に伝え、以て国際平和と海上交通の安全を祈念する象徴として主錨を奉納する。

掃海母艦「はやせ」主錨の由来

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