弓張月

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香川県観音寺市

江戸時代の読本作家、滝沢馬琴の書いた「椿説弓張月」のなかに源為朝の妻白縫が観音寺、琴弾の宮で夫の仇討をしたという話があります。為朝が京の戦いで敗れた時、鎮西太宰府の館(やかた)を守っていた白縫は召使い八人とともに讃岐観音寺、琴弾の宮に落ち、神仏に夫の無事を祈っていました。一方京では、敗れ傷ついた為朝は家来の武藤太の家に身をひそめました。その時武藤太は「為朝を捕えた者には過分のほうびをとらす」という敵方のおふれに目がくらんで密告したため為朝は捕われて八丈島に流されました。主君を敵方に売った武藤太は“痴(し)れ者”として非難されいたたまれなくなって手下二人と西国に落ちました。流れついたのが讃岐の国室本の港(観音寺市室本町)でした。港にあがった武藤太は武運に縁の深い琴弾の宮の近いのを知って参拝しました。祈る言葉は悪人らしく、為朝密告の恩賞の少なかったうらみごとだったのです。白縫は拝殿に祈る男の言葉からその男が夫の仇と知ったのです。「これこそ神の導き」と白縫は、ある月の夜酒宴と美女の琴で武藤太を誘い出し、みごと夫の仇を討ったのです。いまも観音寺市琴弾八幡宮の境内には、この仇討を伝える史跡が保存され観光客が絶えません。

(看板引用)

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