西光寺天神郭決戦の地

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天正10年8月(1582)長宗我部元親は、その子親正を総大将とする1万2千の軍勢で、讃岐の旗頭香西氏の本城を攻撃しました。第18代城主香西伊賀守佳清は、約3千の将兵でこれを迎え撃ちました。しかし5日間の激戦で多数の勇将強兵を失いやむをえず多度津天霧城主、香川信景の仲だちで和議を結びました。西光寺天神郭は8月5日土佐方3千の来襲をうけたところです。この時香西城からめ手口陣代香西太郎左衛門は兵約1500で、この土佐勢と激戦しました。しかし、敵方の総攻撃を受け陣代をはじめ先陣の大将、佐藤孫七郎ほか数百が本津小畑西光寺表付近で討ち死にし、遂に終戦となりました。ここは有名な決戦場の跡です。

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